岩下城 (いわしたじょう)
最寄地 群馬県吾妻郡東吾妻町岩下1887 2019.2.3
岩下城 (いわしたじょう)
最寄地 群馬県吾妻郡東吾妻町岩下1887 2019.2.3
登城ルート(緑線は車道)
北端の堀切
北側2番目の堀切
3番目の堀切
3郭
大堀切を挟んだ主郭切岸
主郭
2郭・神社
岩下城 主郭跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高40m】
【感想】 岩櫃城の西約3kmに位置し、吾妻川左岸の標高545mの山頂に岩下城3郭がある。空堀を挟んだ西に主郭があり、大堀切や3郭の北尾根の堀切など、見どころは多い。
【案内】 国道145線に面した「東吾妻町地域振興センター」(表記番地)東より林道北浦線を約650m行くと林道岩下線起点に着き、路肩に駐車できる[マップコード295 498 816*86](地図)。
左に見えるなだらかな稜線を南西に登ると、間もなく堀切とそれに続く竪堀に出る。
更に登ると、2条の深い堀切があり3郭に着く。3郭の東に帯郭、南に段郭がある。
3郭より西に大空堀があり、土橋より右斜めに切岸を登ると主郭がある。主郭の東に土塁があり、西に一段下がって、神社の建つ2郭がある。その下段に帯郭や西郭がある。
【歴史】 岩櫃城斉藤氏の一族岩下斉藤氏により築かれたという。
文明五年(1473年)塩谷・秋間両氏を圧倒して吾妻全土を掌握した大野憲直は家臣で岩下城主・斉藤憲次(孫三郎)に植栗河内守元吉の討伐を命じたが、斉藤憲次は逆に元吉の兵と合して大野氏の稲荷城を襲い、大野氏を滅ぼした。
その後、斉藤憲次は岩櫃城へと入り、家臣の富沢但馬を岩下城主にした。
真田氏が岩櫃を攻略して斉藤氏が没落すると、富沢但馬は真田氏に従った。
天正三年(1575年)富沢但馬の子・富沢勘十郎は長篠の戦いで討死した。