長根城 (ながねじょう)
所在地 群馬県高崎市吉井町長根538−2 2020.8.26
長根城 (ながねじょう)
所在地 群馬県高崎市吉井町長根538−2 2020.8.26
西側堀跡(道路)
虎口土塁・城跡碑・説明板
説明板
虎口土塁(裏側)
上の場公民館・土塁
長根城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 鏑川に向けて南から伸びた段丘先端上にあり、本丸の規模は東西約90m南北約70mで、西側に二の丸があった。
本丸の虎口にあたる土塁上には墓地があり、本丸は墓地、草地、民家敷地となっている。民家の西の細い道は堀跡と思われる。
【案内】 「上の場公民館」(表記番地)に駐車でき、虎口土塁の前に城跡碑、説明板が建てられている[マップコード247 596 395*36]。
【歴史】 戦国時代、長根衆の居城で、小幡氏の一族小河原右馬助が居城とし、長根氏を称した。
はじめ平井上杉氏に従い、後に武田氏に従った。武田氏滅亡後は北条氏に従った。石倉砦の争奪戦、長篠の合戦、膳城、神流川の合戦等に出陣した。
天正末に廃城後、城跡山不動院光円寺が建てられ、明治八年(1875年)から、明治四十二年(1909年)長根学校が置かれた。