白石家戸長屋敷 (しらいしけこちょうやしき) (山田城)
所在地 栃木県栃木市大平町西山田898−1 2021.7.6
白石家戸長屋敷 (しらいしけこちょうやしき) (山田城)
所在地 栃木県栃木市大平町西山田898−1 2021.7.6
看板・駐車場
おおひら歴史民俗資料館
長屋門
母屋
味噌蔵・東蔵
裏の蔵・離れ座敷(奥)
白石家戸長屋敷(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 白石家戸長屋敷として、江戸時代後期の大庄屋の長屋門、母屋、蔵、庭園などが保存されている。
空堀など山田城の遺構はほとんど見られないが、白石氏は北条氏滅亡後帰農され、長い年月の間に屋敷として改築されたと考えられる。現在の建物は文政年間(1818~31年)頃の建築で、母屋に竈、馬房などがあり豪農の生活を感じることができる。
【案内】 「おおひら歴史民俗資料館」(表記番地)の駐車場が用意されている[マップコード64 652 635*13]。
資料館と戸長屋敷は有料(200円)で見学できる(月曜日休館)。約2千坪の敷地に、江戸時代の大庄屋の風格を残す長屋門、萱葺きの母屋と蔵6棟が保存されている。
【歴史】 応仁年間(1467~69年)佐竹氏より分かれた白石宗義が山田城を築いたと云われる。
白石氏は北条氏滅亡後に帰農し、江戸時代に大庄屋を務めていた。
明治時代になって大庄屋、庄屋、名主、年寄等が廃止され、新たに大区には区長、小区には戸長が任命された。
白石家も戸長を務め、昭和40年代まで住居として使われた、現在は資料館として一般公開されている。