城生柵 (じょうのさく) (国の史跡)
最寄地 宮城県加美郡加美町城生寺作23 2016.6.4
城生柵 (じょうのさく) (国の史跡)
最寄地 宮城県加美郡加美町城生寺作23 2016.6.4
南東部・石碑・説明板
北東部土手跡
北東部遠景
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 表記番地の交差点横に「国史跡城生柵跡」の石碑と説明板が建てられている[マップコード317 297 388*28](地図) 。
また、北東部に位置する城生柵の土手が慈恩院跡の共同墓地の横に残っており、説明板が建てられている(地図)。中心部と思われる墓地の南側は畑、杉林となっている。
昭和五十四年(1979年)5月18日、国の史跡に指定された。
【発掘調査】 昭和五十一年(1976年)から平成十年(1998年)にかけて行われた発掘調査の結果、遺跡の周囲には築地塀(土を突き固めて造った塀)を方形に巡らせ、その規模は東西約350m南北約370mであった。
塀の北辺中央には八脚門と呼ばれる当時としては大変格式の高い門が造られていたことが判明した。
柵の内側は溝で区画されており、政務を行ったとみられる建物、税として集めた米やその他の物品を収納する高床式の倉庫、工房、竪穴住居などの施設が計画的に建てられていたことが分かった。
出土遺物には、土師器(はじき)、須恵器、硯、瓦、鉄製品、炭化した米などがある。
また、本遺跡から北東800mに位置する県指定史跡の菜切谷廃寺跡は本遺跡に付属する寺院跡であると考えられている。
【歴史】 城生柵跡は奈良・平安時代にこの地に置かれた役所跡と考えられている遺跡である。