小幡陣屋 (おばたじんや) (小幡城)
所在地 群馬県甘楽郡甘楽町小幡653 2015.9.23
小幡陣屋 (おばたじんや) (小幡城)
所在地 群馬県甘楽郡甘楽町小幡653 2015.9.23
復元門・石垣
土塁
土塁・銀明水
喰い違い郭
松平家大奥
織田氏七代の墓
小幡氏歴代の墓
小幡陣屋跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 県道46号線の「大手門」交差点より南に行った小幡陣屋跡は、「楽山公園」(表記番地)として9時~17時(11~2月は16時)迄、有料(個人300円団体250円)で一般公開され、北東側に駐車場が用意されている[マップコード247 530 096*32] 。
門や拾九間長屋が復元され、空堀・石垣・土塁が残っている。井戸(金明水・銀明水)があり、建物跡が平面復元され、庭園には昆明地がある。
また東には、武家屋敷があり、「喰い違い郭」や「松平家大奥」が残り、町立第二中学校の塀が復元されている。
県道46号線に沿った崇福寺(小幡1408-19)北東高台に「織田氏七代の墓」がある(地図)。
宝積寺(轟774)裏の高台に「小幡氏歴代の墓」がある(地図)。
【歴史】 元和元年(1615年)織田信長の次男・信雄(のぶかつ)は大和宇陀藩3万石と上野甘楽郡2万石を与えられた。元和二年(1616年)から翌年まで藩主を務めた永井直勝を経て、信雄の四男・信良が小幡藩を立藩し、陣屋を築いた。
第2代藩主・信昌のときに検地が行なわれた。第7代藩主・信邦の時、明和四年(1767年)、山県大弐の明和事件に連座して信邦は蟄居処分となり、信邦の後を継いだ養嗣子・信浮は出羽高畠藩へ移された。
その後、上里見藩から松平忠恒が2万石で入り、孫の忠恵(ただしげ)が天保四年(1833年)若年寄になり、嘉永元年(1848年)城主格となったことから陣屋造りのまま、小幡城と改称された。
子の4代藩主忠恕(ただゆき)の時、慶応四年の戊辰戦争では新政府に与し、明治二年(1869年)六月二十二日の版籍奉還で知藩事となり、明治四年(1871年)七月の廃藩置県で小幡県となり免官となった。同年十月群馬県に編入された。 『ウイキぺデイア』より。