真岡城 (もおかじょう) (芳賀城 )(はがじょう)
所在地 栃木県真岡市台町4184 2014.4.9 2020.6.20
真岡城 (もおかじょう) (芳賀城 )(はがじょう)
所在地 栃木県真岡市台町4184 2014.4.9 2020.6.20
行屋川・真岡小学校
城山公園(2020年)・陣屋跡
真岡陣屋阯の碑
真岡小学校
本丸東の腰曲輪
小学校グランド北の土塁
北側空堀
真岡城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 真岡城の東には堀を兼ねた行屋川が流れ、両岸に桜が植えられ桜の名所となっている。
城山公園は工事中であったが、6年後に訪れてみると広い公園となり、土塁の前に「真岡陣屋阯」の石碑が建てられている。入口付近に珍しい菩提樹の花が香りよく咲いていた。
また、本丸東の腰曲輪は比較的良好な形状で保たれており、北側に空堀が残っている。
【案内】 真岡市立真岡小学校(表記番地)ならびに城山公園となっている[マップコード39 076 665*72]。
城山公園に四の郭、小学校建物付近に三の郭、二の郭、北のグランドに本丸が所在していた。三の郭、二の郭、本丸の各郭間は空堀で仕切られていた。 現在、曲輪間の空堀はなく、本丸北側に土塁、空堀が残る。
城山公園の南に堀があったが明治以降、拡幅され現在の県道47号線となっている。
【歴史】 宇都宮氏と縁戚関係にある芳賀氏(清原氏)の居城である。芳賀氏は益子の紀氏と共に紀清両党と呼ばれていた。
真岡城の築城には、貞治元年(1362年)に芳賀高貞、天文元年(1532年)代高経、天正五年(1577年)芳賀高継が築城したという三つの説がある。
鎌倉時代末期の貞治元年(1362年)に芳賀高貞が築城して、御前城(真岡市田町・現真岡中学校)から移転し、戦国時代の天正五年(1577年)になって、芳賀高継が後北条氏の侵攻に備えて堅固な城郭として改修したとの説が有力とされる。
慶長二年(1597年)11代高武の時、宇都宮氏が豊臣秀吉によって改易されると同時に廃城となった。
江戸時代には寛政九年(1797年)4の郭に竹垣直温(なおひろ)により陣屋が建てられた。
弘化五年(1849年)山内総左衛門董正(ただまさ)は、真岡・東郷両陣屋を統合する形で支配した。