白河小峰城 (しらかわこみねじょう) (白河城・小峰城) (国の史跡・日本100名城13)
所在地 福島県白河市郭内1-73 2011.7.10 2012.7.19 2015.6.14
白河小峰城 (しらかわこみねじょう) (白河城・小峰城) (国の史跡・日本100名城13)
所在地 福島県白河市郭内1-73 2011.7.10 2012.7.19 2015.6.14
北側堀・石垣
本丸石垣(2011年)
内堀・石垣
桜門石垣
本丸・ 井戸・土塁
木造復元三層櫓・前御門
白河小峰城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★★】
【案内・感想】 JR東北本線「白河駅」の北に位置し、二ノ丸茶屋(表記番地)の東は公園広場となっており、南側に駐車場が用意されている[マップコード203 476 241*71]。
東北沖大地震で被災し南面の本丸石垣が崩れているが、その一年後訪れたが、2012年時点で、まだ修築されていない。木造復元の三層櫓、前御門は遠目には震災の影響は小さく見える。本丸の北から西に水堀がある。
平成十八年(2006年)4月6日、日本100名城(13番)に選定された。平成二十二年(2010年)8月5日、国の史跡に指定された。
2015年春から入城できるようになり、天守内も見学出来るようになった。石垣は南側桜門付近が積み直され、修理された。
【歴史】 南北朝時代の暦応三年(1340年)に結城親朝が小峰ヶ岡に築城し、小峰氏を名乗った。
永正七年(1510年)、惣領の結城政朝が一族の小峰氏によって追放された(永正の変)。これにより小峰氏の血筋による新たな白河結城氏が成立した。また、この頃に結城氏の本拠も白川城から小峰城に移ったとされる。
天正十八年(1590年)白河結城氏が豊臣秀吉による奥州仕置で改易されると、その後は会津領となり、蒲生氏、上杉氏、再度蒲生氏が支配した。
寛永四年(1627年)丹羽長重が棚倉城より移封され、寛永六年、幕命により城の大改築に着手し、寛永九年(1632年)完成した。
その後丹羽氏・榊原氏・本多氏・奥平松平氏・越前松平氏・久松松平氏・阿部氏と7家21代の城主の交代があったが、慶応三年(1867年)最後の阿部氏が棚倉に移封されると、白河藩は幕府直轄領となり二本松丹羽氏の預かる所となった。
慶応四年(1868年)戊辰戦争で奥羽越列藩同盟軍と新政府軍の激しい攻防の舞台となり、三層櫓初め大半を焼失落城した。
平成三年(1991年)に三重櫓が、平成六年(1994年)に前御門が木造復元された。