柳之御所 (やなぎのごしょ) (平泉館) (国の史跡)
所在地 岩手県西磐井郡平泉町平泉伽羅樂108‐1 2014.8.16
柳之御所 (やなぎのごしょ) (平泉館) (国の史跡)
所在地 岩手県西磐井郡平泉町平泉伽羅樂108‐1 2014.8.16
説明板
遺跡説明案内板
井戸・建物跡
園池
堀
柳之御所資料館(地図)
【遺構★★★★☆】
【感想】 高館の南東、北上川西岸と猫間が淵に挟まれた標高約25mに立地し、11万2千㎡の広さがある。東北の一大勢力であった藤原氏の遺構を偲ぶことが出来る。
現在は柳之御所史跡公園として整備され、園池、大きな堀、道路、掘立柱建物跡などが復元されている。今後は建物も復元整備される予定である。
【案内】 国道4号線「柳之御所」交差点より西にゆくと、すぐに柳之御所資料館(表記番地)があり、駐車場が用意されている[マップコード142 254 628*43]。
奥州藤原氏に関する資料や出土したかわらけ(土器)、常滑産や渥美産の陶器、中国産陶磁器、当時の烏帽子、国内初の発見となる磐前村印、将棋の駒など遺物が展示されている。入館料は無料で、午前9時~午後4時30分に入館できる(休館日:毎週月曜日(祝日等を除く))
平成九年(1997年)には国の史跡「柳之御所・平泉遺跡群」に指定され、世界遺産登録運動が開始された。2011年6月、第35回世界遺産委員会では平泉の世界遺産への登録を行ったが、その際、柳之御所遺跡の除外が条件となった。
【歴史】 柳之御所は、奥州藤原氏初代清衡が康和元年(1099年)江刺郡豊田館から磐井郡平泉に移ってきて居館をかまえた所であり、3代秀衡が政庁・平泉館とするため再整備を行ったとされる。
中尊寺の南東に位置し、柳之御所から北西方山上の金色堂を望むように造営された。
文治五年(1189年)、源頼朝の28万余の大軍に攻められた際に、4代泰衡が自ら火を放ち炎上した。
柳之御所の名前は、伽羅御所の名前に対比して、後世に名づけられた。歴史書『吾妻鏡』には無量光院(跡)の北に館を構え平泉館と称したと記しており、柳之御所の名は無いが、柳之御所の字があるので、現在はこの字名をとって柳之御所と呼んでいる。