長井坂城 (ながいざかじょう) (県の史跡)
最寄地 群馬県渋川市赤城町棚下876−1-28 2015.8.30 2017.8.3
長井坂城 (ながいざかじょう) (県の史跡)
最寄地 群馬県渋川市赤城町棚下876−1-28 2015.8.30 2017.8.3
登城ルート(緑線は車道/緑丸は二の丸)
本丸入口の標柱
三の丸
二の丸・石碑・説明板
馬出し跡・空堀
本丸・土塁
本丸背後の空堀・三の丸(西)
長井坂城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【感想】 標高480mの関越自動車道「長井坂トンネル」上に位置する崖端城である。
土塁で囲まれた本丸の東から南に空堀がよく残っている。南側に三の丸、空堀の南に平坦地があり、その南はこんにゃく畑に続いている。
【案内】 関越自動車道「昭和IC」より、県道65号線を西に行き県道255号線に入り3kmほど南下すると、案内標識がある。
そこを左折して約1.4km行った関越自動車道の高架橋直下に案内標識がある。右折し、橋を渡って九十九折れの道を登ってゆくと、「長井坂城跡本丸跡入口」の標柱がある[マップコード183 293 849*41](地図) 。
入り口より登ってゆくと、畑となった三の丸跡があり、その右手に駐車スペースがある。その南に長方形の畑となった二の丸跡があり(地図)、虎口に説明版と「長井坂城跡」の石碑が建てられている。
その西に馬出しがあり、南に空堀で囲まれた本丸跡がある。本丸跡は広く、南と東土塁がによく残り、南側に空堀で隔てられた「三の丸(西)」跡がある。その南はこんにゃく畑に続いている。
昭和五十五年(1980年)9月16日、群馬県の史跡に指定された。
【歴史】 『加沢記』によれば、永禄三年(1560年)長尾景虎(のちの上杉謙信)が関東出馬の際に長井坂に陣を張り、降伏した沼田顕泰(あきやす・万鬼斎)を引見したとあり、城郭構造からみて永禄年間(1558~70年)以降の築城と考えられている。
天正年間(1573~92年)の初めに北条氏の持城となり、近隣の地侍集団が城番を務めた。
天正六年(1578年)真田氏が沼田城を略取すると、長井坂城が鉢形城を核とした北条方の北方最前線の要となって、北条、真田両氏激突の攻防が繰り返された。
天正十八年(1590年)豊臣秀吉の小田原征伐で北条氏が滅亡すると、廃城となった。『群馬県教育委員会説明板』より。