厚木城 (あつぎじょう) (厚木館)
所在地 神奈川県厚木市旭町2丁目11−19 2022.8.19
厚木城 (あつぎじょう) (厚木館)
所在地 神奈川県厚木市旭町2丁目11−19 2022.8.19
智恩神社
神社北側
2基の五輪塔
厚木城跡(地図)
【遺構★☆☆☆☆】
【感想】 相模川右岸の低地にあり、智恩神社や北側の墓地や貸農園となっており、遺構は消滅している。
【案内】 県道601号線より狭い道を西に行った、智恩神社に駐車できる [マップコード15 644 824*36]。
神社から北に墓地、貸農園の間を進むと、二基の五輪塔がある(延文及び貞治年間)。神社南側には鬼子母神堂がある。
【歴史】 厚木(芳賀)朝高は芳賀氏庶流の芳賀高義の三男であった。
主君・芳賀高経が宇都宮興綱に叛乱を起こそうとした際に諌めるが説得に失敗した。
天文五年(1536年)、高経・芳賀高孝・壬生綱房らは宇都宮成綱の二男・尚綱を宇都宮氏の当主に据え、興綱を自害に追い込んだ。
厚木(芳賀)朝高は居城の下野国厚木城から相模国厚木に出奔し、後北条氏に仕えた。
その後、結城晴朝に従い、結城氏家臣として厚木城に復帰した。『ウイキペディア』より。