小山城 (おやまじょう) (祇園城) (国の史跡)
最寄地 栃木県小山市本郷町1丁目9−41 2013.9.23
小山城 (おやまじょう) (祇園城) (国の史跡)
最寄地 栃木県小山市本郷町1丁目9−41 2013.9.23
二の丸三の丸間の空堀
二の丸・大銀杏
馬出し曲輪・空堀
馬出し曲輪・空堀
空堀・祇園橋
空堀・祇園橋
本丸
小山城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 「天翁院」(表記番地)南に駐車場があり、空堀が思川に向けて伸びている[マップコード74 246 082*67]。
小山城址公園となっており、北より三の丸、二の丸と並び、二の丸の西に「馬出し曲輪」があり、空堀がよく残っている。
南の空堀は歩道となっており、朱塗りの祇園橋が架かっている。その南の本丸は空堀土塁に囲まれ、西側は思川の断崖であり、南端に説明板があり、県道31号線に出る。
平成三年(1991年)3月12日、小山氏城跡として、祇園城跡は鷲城跡と共に国の史跡に指定され、平成六年(1994年)両城跡の未指定部分と中久喜城跡が追加指定された。
【歴史】 久安四年(1148年)小山政光によって築城された。藤原秀郷の後裔で武蔵国に本領を有した太田氏の出自で、政光が初めて下野国小山に移住し小山氏を名乗った。
小山城は中久喜城、鷲城と並び下野国守護であった小山氏の主要な居城であった。康暦二年(1380年)から永徳二年(1382年)に起きた小山義政の乱で鎌倉幕府の関東公方足利氏満により追討され小山氏は断絶したが、同族の結城家から養子を迎えて再興した。
その後は代々小山氏の居城であったが、天正四年(1576年)小山秀綱が北条氏に降伏して開城し、北条氏の手により改修され北関東攻略の拠点となった。
秀吉の小田原征伐の後、慶長十三年(1608年)、本多正純が相模国玉縄城より入封したが、元和五年(1619年)宇都宮へ移封となり、小山城は廃城となった。