勝山城 (かつやまじょう)
最寄地 群馬県前橋市総社町植野914−8 2024.11.9
勝山城 (かつやまじょう)
最寄地 群馬県前橋市総社町植野914−8 2024.11.9
勝山小学校北西の体育館
ため池竣工記念碑
説明板
説明板
勝山城跡 説明板(地図)
【遺構★☆☆☆☆】
【感想】 利根川右岸に築かれ、広い縄張りを持っていたという 。城跡は勝山小学校北西部を残して、度重なる利根川の氾濫により大部分崩落したといわれる。
【案内】 勝山小学校から北西に行った表記番地先に「ため池竣工記念碑」があり、そこに駐車できる[マップコード20 874 623*15]。河川敷の遊歩道を約250m程東に行くと、説明板が建てられている。
【歴史】 応安四年(1371年)赤松氏により築かれたと云われる。応永三十四年(1427年)赤松能亮のとき、姓を関口と改めたという。
大永五年(1525年)関東管領上杉氏・長尾氏の居城である総社要害城(蒼海城)の支城となり、関口清房が在城した。
永禄九年(1566年)長野氏の箕輪城落城後、武田勢の攻略により落城した。
その後、北条氏康の所領となり瀬下豊後守に宛がわれた。
慶長十二年(1607年)総社領主・秋元長朝によって総社城の一部に取り入れられが、度重なる利根川の氾濫によって大部分が崩落し失われた。