十二所城 (じゅうにしょじょう)
最寄地 秋田県大館市十二所元館42 2017.4.25
十二所城 (じゅうにしょじょう)
最寄地 秋田県大館市十二所元館42 2017.4.25
登城ルート(緑線は車道)
案内看板
本丸・城跡碑
本丸跡碑
本丸南西の空堀
南郭
東郭虎口
東郭・十二所神明社
十二所城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高15m】
【感想】 米代川左岸の十二所集落南の丘陵にある。本丸を中心に三方に3つの郭から構成されている。放置された城ではなく、居館として改築されたため、本丸西に空堀が残っているのみである。
【案内】 JR十和田八幡平四季彩ラインを渡って表記番地前の細い道を南へ行った鶏舎先に大きな「十二所城本丸跡」の案内看板が建てられ、その先に駐車スペースがある[マップコード297 456 250*63]。
70m四方ほどの広さの本丸には「十二所城本丸跡」の石碑が建てられている。
南西に南郭があり、その間に空堀が残っている。南東と東(神明社)に夫々郭がある。
【歴史】 戦国時代(1500年代)浅利氏の配下の十二所信澄がすでに利用したのではないかとの推測もあるが、確証に乏しい。
十二所城を近代的な城として築いたのは、元和元年(1615年)久保田藩主佐竹義宣から十二所城代に任じられた塩谷伯耆守義綱である。
江戸幕府の一国一城令により、元和六年(1620年)城館は居館に改築させられ、堀はほとんどが埋められた。