藤田城 (ふじたじょう)
所在地 福島県石川郡石川町中野矢ノ内182−1 2014.4.17
藤田城 (ふじたじょう)
所在地 福島県石川郡石川町中野矢ノ内182−1 2014.4.17
大手道・城塁
二ノ郭跡
模擬櫓・案内図
主郭跡
三ノ郭跡
井戸跡
藤田城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 国道118号線の表記番地より、東に曲がり200mほど行く[マップコード61 050 328*62]。そこを右折し細い道を約100行くと、城跡の西の駐車スペースに着く(地図)。
北に藤田川が流れ、城跡は西から二ノ郭・主郭・三ノ郭と並び土塁と空堀が残り、北の低地には井戸跡が二か所ある。主郭には櫓や柵が復元されている。
【歴史】 石川有光は前九年の役に源頼義、義家父子に従って父頼遠と共に陸奥に下り、安倍一族と戦い康平五年(1062年)頃、父頼遠が戦死した。
その後有光は奥州の仙道の地を与えられ、翌、康平六年(1063年)に石川庄に藤田城を築きその後、三芦城に移った。藤田城は石川氏の有力な一族・大寺氏の所領となった。
時代は下って天正十年(1582年)大寺氏の没落後、石川氏惣領家の城となったが、天正十八年(1590年)の豊臣秀吉の奥州仕置で小田原征伐への不参を理由に、第24代石川昭光が豊臣秀吉の命で改易処分となった際に、三芦城と共に廃城になった。