寺林城 (てらばやしじょう)
所在地 岩手県花巻市石鳥谷町中寺林第12地割 2017.4.23
寺林城 (てらばやしじょう)
所在地 岩手県花巻市石鳥谷町中寺林第12地割 2017.4.23
光林寺南山門
光林寺本堂
本堂裏の庭園と土塁
熊野證誠殿
二重空堀
寺林城 空堀跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 小高くなった光林寺境内の東に幅5m、長さ50mほどの堀跡のような窪地がある。また北西にL字型の二重空堀を見ることが出来る。中々のものだ。
城の規模はルンビニー苑敷地を含めた東西約200m、南北約200mの広さと思われる。
【案内】 光林寺北の熊野證誠殿とルンビニー苑との間に二重空堀が残っている[マップコード378 780 320*56]。また本堂裏に土塁の一部が見られる。
【歴史】 築城年代は弘安二年(1279年)。光林寺由緒によると、伊予の国主河野通信公の長男河野伊予守通俊の次男通重が城主として住したことに始まると伝えられている。
天正十八年(1590年)、豊臣秀吉の奥州仕置の際、浅野六兵衛の陣屋となった。
天正二十年(1592年)の諸城破却書上には「寺林 平城 破 信直抱 代官 左 平治」とあり、破却された。