滝山城 (たきやまじょう) (国の史跡)
所在地 東京都八王子市丹木町3丁目 2013.8.30 2018.3.29
滝山城 (たきやまじょう) (国の史跡)
所在地 東京都八王子市丹木町3丁目 2013.8.30 2018.3.29
登城ルート
千畳敷西の空堀
千畳敷
千畳敷東の空堀
二の丸
二の丸馬出の空堀
中の丸
本丸引き橋・空堀
本丸跡・霞神社
本丸跡上段・金毘羅社
滝山城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高40m】
【感想】 多摩川右岸の標高約168mの丘陵に築かれた山城で、都立滝山公園として整備され、大都市を控え訪れる人も多い。
空堀が三の丸東、千畳敷の東西、二の丸南、中の丸の両側によく残っている。同じ北条氏照の八王子城にもある引橋が見られた。
【案内】 国道411号線「丹木町三丁目」交差点の東約90mより北に住宅地の間の三の丸へ続く堀底道を登る(地図:駐車場はない)。
千畳敷、馬出があり空堀がよく残っている。東に行くと二の丸があり南側に土塁、その下段に空堀、二の丸馬出がある。
北に空堀で隔てられた中の丸があり、トイレが建てられている。
中の丸の北西の空堀に引橋が復元され、その西に桝形、土塁の残る本丸がある。
本丸は2段になっており、多摩川を望む比高約40mの本丸櫓台に霞神社、金毘羅社が建ち、沢井益三の句碑「多摩川の風吹上げて夏木立」が建てられている。桝形南に「滝山城本丸址の碑」「史蹟滝山城跡」の石碑が建てられている。
昭和二十六年(1951年)6月9日、国の史跡に指定された。
【歴史】 永正十八年(1521年)山内上杉氏の重臣で、武蔵国の守護代大石定重が築城し、高月城から移ったという。
大永七年(1527年)定重が没すると、子定久は家督を相続して柚木城より滝山城へ移った。
天文五年(1536年)北条氏康に攻められ、天文二十一年(1552年)上杉謙信に攻められた。
天文十五年(1546年)、北条氏照が河越の夜戦で扇谷上杉氏を滅ぼし、山内上杉氏の勢力を武蔵から排除すると、大石定久は北条氏康の三男・氏照を娘婿に迎え、事実上、大石氏は北条氏の軍門に下った。
永禄元年(1558年)頃、北条氏照は城の大改修を実施した。永禄十二年(1569年)、小田原攻撃に向かう武田信玄軍二万が滝山城の北側の拝島に陣を敷き、別働隊の小山田信茂隊一千が小仏峠から進入、これに対し北条方は廿里で迎撃したが一蹴され(廿里古戦場)、滝山城三の丸まで攻め込まれ落城寸前にまで追い込まれたが、二千の寡兵で凌いだ。
しかしこの戦いは、滝山城の防御体制が不十分であることを痛感させ、八王子城を築城し移転するきっかけとなったといわれている。