虎ヶ岡城 (とらがおかじょう) (円良田城 )(つぶらたじょう)
最寄地 埼玉県児玉郡美里町円良田172 2017.11.26
虎ヶ岡城 (とらがおかじょう) (円良田城 )(つぶらたじょう)
最寄地 埼玉県児玉郡美里町円良田172 2017.11.26
登城ルート
登り口
3郭東の堀切
東の3郭
主郭東の堀切
主郭・四阿
主郭切岸・南の2郭
主郭西の堀切と竪堀
虎ヶ岡城 主郭跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高150m】
【感想】 荒川左岸(北)の標高337mの城山に築かれており、東の3郭、主郭、南の2郭、西郭から構成されている。
3郭の前後に堀切が残り、西郭の前後に堀切がよく残っている。
東1.8kmには猪俣城、南東2.3㎞には花園城がある。
【案内】 県道349号線より西に行った表記番地前に登り口がある[マップコード150 800 723*07](地図)。
約700m尾根伝いに登ってゆくと、堀切が設けられ、階段を上ると東側の3郭があり、主郭との間に堀切が良好に残っている。
段郭の上段に主郭があり、四阿、説明板、「虎ヶ岡城址」の看板が建てられている。主郭の南下段に2郭があり、主郭の北西下段に立派な堀切とそれに続く竪堀がのこっている。
細長い北西の郭の端部には浅い堀切が残っている。
【歴史】 室町時代に花園城の支城として藤田氏により築かれたとも、戦国時代に北条氏邦の鉢形城の支城として、猪俣小平太範網(のりつな)により築かれたとも云われる。
戦国時代には、鉢形城支城群の一つとして鉢形城への食糧供給の役目を担っており、北条氏の支配下にあった。
天正十八年(1590年)豊臣勢による鉢形城攻撃の際、虎ヶ岡城にも真田昌幸の大軍が差し向けられ、守将矢那瀬大学らが20日間にわたり防戦したが、落城したと云われている。『美里町説明板』