早川城 (はやかわじょう)
最寄地 神奈川県綾瀬市早川城山3‐1 2014.4.30
早川城 (はやかわじょう)
最寄地 神奈川県綾瀬市早川城山3‐1 2014.4.30
渋谷氏説明板
城山公園
堀切
本丸広場
物見塚・東郷氏の碑
早川城 本丸跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 城跡は城山公園となっており駐車場が用意されている[マップコード 2 065 262*1 ](地図)。
本丸の前に左右に堀切があり、本丸の西に物見塚がある。物見塚には「東郷氏祖先発祥地碑」の石碑が建てられている。
【発掘調査】 綾瀬市教育委員会により平成元年度から六年度にかけて発掘調査が行なわれ、その結果、堀切・土塁・物見塚・曲輪等の城郭関連遺構が発見され、県内でも有数な保存状態の良好な中世城郭であることが判明した。また城郭が構築される以前には、縄文時代や古代の集落があったことも判明した。
【歴史】 鎌倉時代の御家人渋谷氏の城と伝えられている。渋谷氏は平安時代の末期、綾瀬を中心に渋谷荘(吉田荘)という荘園を支配し勢力を持った武士であった。
『吾妻鏡』によると、平治の乱(1159年)に敗れて奥州に落ち延びてゆく源氏の重臣・佐々木秀義を渋谷重国が保護したとの記事があることから、このころまでには綾瀬市域一帯を支配下に置いていたと思われる。
鎌倉時代になると、渋谷重国は源頼朝の御家人となり、その子高重が後を継いだ。高重は早川次郎と名乗り、早川に拠点を置いて一族を統率した。
建暦三年(1213年)の和田合戦では、渋谷高重は和田義盛に与したため、高重はじめ多くの一族が討たれた。
宝治元年(1247年)の宝治合戦の後、その軍功により地頭となり、薩摩国入来院ほかの所領を得て、多くの一族が移って行った。しかし室町時代の初期までは綾瀬市域に早川城を築き、渋谷氏の支配が続いた。