楢葉城 (ならはじょう) (山田岡城・木戸城)
所在地 福島県双葉郡楢葉町山田岡小舘 2023.9.23
楢葉城 (ならはじょう) (山田岡城・木戸城)
所在地 福島県双葉郡楢葉町山田岡小舘 2023.9.23
登城ルート(緑線は車道)
町道からの入口
2郭から見た主郭土塁
2郭の農機置き場
東側の3郭
3郭東側の大堀切・右が4郭
4郭から見た堀切と3郭
楢葉城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高10m】
【感想】 太平洋に近い楢葉町山田岡の丘陵に築かれており、3郭東の深い大堀切がよく残っている。
主郭は北西側にあり、土塁が見えていたが、内部は草茫々で撮影を諦めた。
【案内】 国道6号線「道の駅北入口」交差点より県道162号線に入り、200mほど東を右折、約300m行くと左に城跡に入る道がある[マップコード863 570 562*63](地図)。
登ってゆくと、農機の置かれた建物があり、その裏手を東に進むと3郭がある。3郭の東から北側に深い大堀切があり、その東に4郭がある。
一方主郭は北西にあり、土塁がよく残っている。
【歴史】 もともとは楢葉氏の居城といわれる。
戦国時代、飯野平城(大館城)を本拠とする岩城氏の重臣・猪狩隆清が楢葉氏を滅ぼし、自らの居城としたと云われる。相馬氏の領地との「境目の城」であった。
天文三年(1534年)に相馬盛胤に攻められ落城すると、下浦常陸守泰清が城主となった。
元亀元年(1570年)に岩城左京大夫親隆が奪還し、猪狩氏が楢葉城主に返り咲いた。
慶長七年(1602年)の岩城氏が改易され、飯野平城と共に廃城になった。