府川城 (ふかわじょう) (布川城)
所在地 茨城県北相馬郡利根町布川3004 2015.4.6
府川城 (ふかわじょう) (布川城)
所在地 茨城県北相馬郡利根町布川3004 2015.4.6
説明板
徳満寺
西側の空堀
馬出曲輪の 琴平神社・土塁
府川城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 利根川左岸の微高地にあり、徳満寺(表記番地)境内となっている。西側に空堀が残り(地図)、土塁の一部がある。
空堀の西の馬出曲輪に、琴平神社が建てられている。利根川町史跡となっている。
【歴史】 野口如月の『北相馬郡志』によれば、府川は、寛元二年(1244年)摂津の豊島頼保が、この地に来て開いたと記されている。
その後、永正十六年(1519年)豊島頼継は付近の村々を領し、「府川」(布川となったのは近世に入ってから)と呼ばれていた台上に城館を築き、小田原の北条氏についた。
永禄三年(1560年)二月十一日に豊島頼継は頼継寺(現来見寺)を開基し七月二十一日には寺領を寄進した。府川は佐竹街道・鎌倉街道の要衝であると共に、戦国時代には関所を設け水陸の交通を監視するなど軍事上の重要な拠点であった。
しかし、豊島氏は天正十八年(1590年)の豊臣秀吉の小田原征伐で、忠節を尽くす為北条氏方についた。戦後、豊島氏は北条氏直と共に高野山に入ったと伝えられている。豊島氏の墓は菩提寺の来見寺にある。
その後、佐竹義宣に備える為、松平信一が城主となっている。『利根川町教育委員会説明板』より。