岩出山城 (いわでやまじょう) (臥牛城・岩手沢城・岩出山要害)
所在地 宮城県大崎市岩出山城山49 2012.10.5 2016.8.5
岩出山城 (いわでやまじょう) (臥牛城・岩手沢城・岩出山要害)
所在地 宮城県大崎市岩出山城山49 2012.10.5 2016.8.5
二の丸跡
本丸跡
本丸跡・土塁
城址碑
内門跡・石垣
南の曲輪・伊達政宗公立像
岩出山城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 県道226号線「本町」交差点より西にゆくと、岩出山小学校、岩出山高校の北東に岩出山城跡がある。
公園となっている本丸跡まで車で行け、「城山公園売店」(表記番地)があり、城址碑が建てられ土塁や内門跡、案内看板がある[マップコード317 568 357*78] 。
北側に二の丸があり、崖崩落の復旧工事であった。一段低い東の腰郭跡は、蒸気機関車が展示され広場となっている。
内門の南に広い曲輪があり伊達政宗公立像が建てられている。南の腰郭跡に四阿が建てられ、子ども広場となっている。また、城下には藩校「有備館」がある。
【歴史】 天正十八年(1590年)豊富秀吉の奥州仕置の際、葛西大崎十二郡は木村吉清・清久父子の領となるが、検地・刀狩への不満から家臣により一揆が勃発(葛西大崎一揆)、これを煽動の疑いで政宗は秀吉に召喚されるが無罪となり、米沢城より岩出山城に移封された。
仙台城築城迄12年間伊達政宗の居城となった。その後、政宗の四男・宗康を初代として岩出山伊達氏が居城し、要害と呼称を変え、明治維新まで続いた。