大台城 (おおだいじょう)
所在地 千葉県印旛郡栄町安食55 2015.4.6
大台城 (おおだいじょう)
所在地 千葉県印旛郡栄町安食55 2015.4.6
大台遺跡碑
栄中学校
駒形神社
武者塚慰霊之塔
駒形神社
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 町立栄中学校(表記番地)の正門付近に「大台遺跡」の碑が建てられている。中学校の南の駒形神社に「武者塚慰霊之塔」の石碑が建てられている(地図)。
石碑には、「大台城址にある武者塚慰霊の祭典を執行する事となった。戦国時代末期、天正二年(1574年)敵襲によって大台城は陥落した。当時戦死者の遺骸を合葬した所といわれ、以来里人は武者塚と呼称し来たる。その後、四百年の間今日まで顧りみる者もなく、且又香花一本も供える者もなく、無縁仏として今日に至りました。茲に追善供養を行い慰霊の祭典を執行するに至った」と趣意文が刻まれている(天正二年西暦1556年と記されているが誤記と思われる)。
中学校に行く道が堀道と思われ、駒形神社にあまりはっきりしないが土塁の一部がある。
【歴史】 山室氏の客将として小池城に在った井田友胤は、天文十七年(1548年)に大台城を築き一族とともに移住した。
弘治元年(1555年)山室氏を後ろ盾として坂田城を急襲し、千葉氏の重臣三谷胤興を討ち取り、三谷氏旧領の坂田郷を乗っ取った。
天正二年(1574年)敵襲によって落城した。