阿曽沼城 (あそぬまじょう)
所在地 栃木県佐野市浅沼町294 2021.7.19
阿曽沼城 (あそぬまじょう)
所在地 栃木県佐野市浅沼町294 2021.7.19
浅沼八幡宮
おしどり塚歌碑
説明板
城跡碑
東側の空堀
阿曽沼城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 浅沼八幡宮一帯が城跡で、城域は東西約180m南北約230mと想定されている。
東側に南北に伸びた空堀がよく残っている。
【案内】 浅沼八幡宮の社務所兼浅沼町会所(表記番地)に駐車出来る[マップコード64 490 864*55]。拝殿右に立派な城跡碑が建てられ、東側に空堀が残っている。
【歴史】 寿永元年(1182年)佐野氏の一族阿曽沼民部四郎広綱が築城したと云われる。
寿永の源平争乱では平氏を追って豊後に赴き、文治五年(1189)平泉藤原氏討伐などに功があり、地頭として阿曽沼郷のほか、陸奥遠野保(横田城)、安芸世能庄(鳥籠山城)、備中諸郷村の所領を賜った。次男親綱は遠野横田城を築いている。
その後、広綱の長子朝綱が阿曽沼城を継ぎ、阿曽沼氏代々の居城となった。
南北朝時代の文和年間(1352~56年)頃になると、小山氏政の台頭により阿曽沼郷を横領され、阿曽沼氏は没落したという。
慶長十九年(1614年)佐野氏の改易とともに阿曽沼城も廃城となった。