児山城 (こやまじょう) (県の史跡)
最寄地 栃木県下野市下古山928-1 2015.1.17 2017.4.26
児山城 (こやまじょう) (県の史跡)
最寄地 栃木県下野市下古山928-1 2015.1.17 2017.4.26
東側外堀
城跡碑
2の郭
南東側内掘
南西側内堀・土橋・虎口
主郭・南東側土塁
主郭・北西側土塁
児山城 主郭跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【感想】 外堀、内堀がよく残り、土橋を渡り虎口の北に方形の主郭があり土塁が周囲に残っている。四隅は少し高くなり櫓台となっている。南西に主郭の虎口が設けられ、土橋が二の曲輪に繋がっている。
【案内】 「華蔵寺」(表記番地)の門前に駐車場が設けられ、外側の堀が残り、「児山城跡」の石碑が建てられている。
西に見学コースが設けられ、説明板が建てられている。
昭和三十六年(1961年)5月6日、栃木県の史跡に指定された。
【歴史】 鎌倉時代後期(十三世紀後半)に宇都宮頼綱の四男多功宗朝が、その次男朝定にこの地を分封し、築城したと伝えられている。『上野市教育委員会説明板』より。
弘治三年(1557年)に上杉謙信の軍勢が宇都宮城を攻略するために多功城、上三川城を攻撃した際、児山城主・児山兼朝は、簗城主簗朝光・吉朝父子、家臣の石崎通季、野澤保辰、高木道重、上野祐朝と共に援軍で駆け付け多功城を守備し、撃退した。