小俣城 (おまたじょう)
最寄地 栃木県足利市小俣町2919−7 2022.12.29
小俣城 (おまたじょう)
最寄地 栃木県足利市小俣町2919−7 2022.12.29
登城ルート
カタクリ群生地・フエンス扉
北2番目の堀切
東の郭
鞍部の郭
主郭東段郭の東側堀切
主郭東側段郭
主郭東の堀切
主郭・三角点
小俣城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高180m】
【感想】 足利市小俣の標高304.7mの城山に築かれており、眺望は素晴らしい。
最高所に南北に細長い主郭があり、北西に帯郭段郭が見られ、東側に段郭、深い堀切がよく残っている。東尾根に鞍部、堀切、東郭があり北尾根に2条の堀切がよく残っている。
往きは北側の叶花橋よりカタクリ群生地に行き登ったが、帰りは直接集会所を目指し、民家のリードはついているが10匹以上の犬に一斉に吠えられ怖かった 。
【案内】 県道218号線に面した「叶花集会所」(表記番地)の駐車場が利用できる[マップコード34 826 343*51](地図)。
県道を北に約350m行き、叶花橋の先から西に犬の多くいる民家西からフエンス扉を開け閉めして「カタクリ群生地」から登る(地図)。
なだらかな道を歩き、尾根手前が少しきついがロープに沿って尾根に出て、南へ行く。ピークを過ぎ下って再度登ってゆくと、堀切がある。
東の郭手前に堀切があり南東尾根にも堀切がある。東の郭は細長く西側が岩場で高くなっている。
その西に堀切があり鞍部を経て、深い堀切がある。堀切の先に段郭があり北側から北西にかけて帯郭が見られ、北西下に段郭が残っている。最高所の主郭は南北に細長く、虎口右側に落ち葉に埋もれた石積が見られ、中央付近に標識が括りつけてあり三角点が建てられている。
【歴史】 足利氏4代泰氏の8男賢宝は足利荘小俣を領して小俣氏を名乗り、築城したとされる。
小俣氏義、小俣氏連、小俣詮氏らは南北朝時代から室町時代初期にかけて活躍した。
戦国時代、小俣氏は足利氏の内訌により衰退し、渋川氏(小俣渋川氏)の属城となったといわれ、主家を古河公方、山内上杉氏 、後北条氏 と変えたという。
元亀三年(1572年)関東へ侵攻した上杉謙信の軍勢により攻められたが、城代石井尊空が死守して撃退したという(小俣城の合戦)。
天正十八年(1590年)豊臣秀吉の小田原攻めに際し、当主渋川義勝は、由良成繁、長尾顕長らと共に小田原城に籠城した。
北条氏の滅亡に伴い渋川義勝は秋元氏預かりとなったという。その後、小俣城は廃城となった。