篠川城 (ささがわじょう) (佐々河城・篠川館)
所在地 福島県郡山市安積町笹川東舘 2020.5.24
篠川城 (ささがわじょう) (佐々河城・篠川館)
所在地 福島県郡山市安積町笹川東舘 2020.5.24
登城ルート(緑線は車道)
城址碑
主郭・東舘稲荷神社
東舘稲荷神社
西側堀跡
篠川城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 阿武隈川左岸の台地に築かれ、東舘稲荷神社が主郭で、東側に平坦地が広がっており、北から西にかけて堀跡が見られる。
南側台地が2郭と云われている。
【案内】 西側の県道355線からは民家の間の道路が極端に狭く避けた方が良い。県道が東北新幹線高架に差し掛かる西側道路に入る[マップコード61 644 232*70]。
そこから新幹線高架に沿って未舗装道を北に行き、阿武隈川西岸堤防道路に差し掛かる手前に駐車できる(地図)。左側に2郭の堀跡が見られる。
北に歩くと、東舘稲荷神社があり、城址碑が建てられている。
【歴史】 南北朝時代末期の明徳元年(1390年)2代鎌倉公方・足利氏満の弟満秀が下向駐在した。
応永元年(1394年)足利氏満の第3子満隆も下向し、応永五年(1398年)氏満の死後満隆は鎌倉に帰り、代わって応永六年(1399年)3代鎌倉公方となった足利満兼は、二人の弟足利満直(篠川御所)、足利満貞(稲村御所)を南奥州に下向させた。陸奥管領として下向し、永享十二年(1440年)まで駐留在城した。
篠川御所・篠川公方などと称され当時奥羽の最高統治府であり、足利将軍と鎌倉管領との間に立って重要な役割を果たした。
その後、天文二十年(1551年)より天正十八年(1590年)伊達政宗の軍勢に攻められ落城するまで、須賀川二階堂氏の家臣須田佐渡守頼隆の居城であった。稲荷神社は、須田氏の氏神であったと云われる。