大窪城 (おおくぼじょう)
最寄地 宮城県黒川郡大郷町大松沢真坂26 2017.10.25
大窪城 (おおくぼじょう)
最寄地 宮城県黒川郡大郷町大松沢真坂26 2017.10.25
登城ルート
入口碑
土橋・空堀
2の丸
平面図
3の丸
本丸
本丸東の帯郭
大窪城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【感想】 成瀬川の支流鶴田川右岸の標高77.6mの丘陵先端部にあり、北西の付け根部に空堀・土塁を設けている。土塁上に八坂神社が祀られている。
本丸は東西約90m南北約50mと広く、中央に井戸が残っている。訪れた時は草が刈られた後で歩きやすかった。
【案内】 県道16号線より旧道に入ったすぐに、「大窪城趾入口」の石碑が建てられており、角地に駐車スペースがある[マップコード110 764 571*74]。
城址公園への道は車両通行止めとなり、500mほど登ると配水場の南に土橋、空堀がある。
本丸を中心に東に帯郭・通用門跡があり、西に的場(2の丸)一段下がって3の丸と配置されている。
【歴史】 明応四年(1495年)伊達尚宗(政宗の4代前)の領地となり、伊達氏の家臣宮沢掃部時実が築城した。
2代目は祐実で、以後実家、景実、元実と続いた。宮沢元実は天正年間(1573~92年)、伊達氏17代伊達政宗の時、相馬及び大崎の軍に従いその都度先鋒となり功をたた。
また、文禄元年(1592年)には朝鮮の役に従軍して功を立て、大松沢に住んでいたので伊達政宗から大松沢氏を称ずるよう命ぜられ、改めて伊達家の一族に列せられた。
6代は定実、7代頼実、8代広実、9代信実、10代以実、11代文実、12代定実、13代従実、14代良実、15代衛実(大松沢掃部之輔衛実)と続いた。
大松沢衛実は、伊達家仙台藩士として伊達氏29代伊達慶邦に仕え、明治元年(1868年)の戊辰戦争では 会津の戦に藩士300人を率いて従軍し、次いで白河口軍事総督を命ぜられ、各地の戦いに功を立てた。
会津の乱が終わった後は、剃髪し菩提寺である眞観寺の住職となり、戊辰の役で亡くなった人々の冥福を祈り、僧侶として没した。