桑折西山城 (こおりにしやまじょう) (国の史跡)
最寄地 福島県伊達郡桑折町万正寺中峯48 2013.11.9
桑折西山城 (こおりにしやまじょう) (国の史跡)
最寄地 福島県伊達郡桑折町万正寺中峯48 2013.11.9
登城ルート
大手入口
大手門跡
本丸跡・城址碑
空堀・二の丸
二の丸跡
桑折西山城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高70m】
【案内・感想】 東北自動車道下より西へ行く道路右に「大手入り口」があり[マップコード76 346 728*63](地図)、ガードレール横に1台分の路肩駐車スペースがある。
中峯地区より北に行った登り道脇に放射能除染のフレコンが並んでいる。やがて大手門跡に着く。その先に本丸跡の碑が建てられた比高約70mの高台に着く。空堀を挟んで一段下がった広場が二ノ丸である。
又、大手入り口の西500mより右折北に300m行った「西舘入り口」に(地図)があり、標識が建てられている。そこより西舘を通り、二の丸西を通って北の産ヶ沢川の橋(地図)へ抜けることが出来る。
城の北から東に産ヶ沢川が流れ天然の堀となっている。本丸、二の丸の刈られた草は放置され、そこからの眺めは良いが原発からの放射能を想像するのみである。
平成二年(1990年)年2月19日、国の史跡に指定された。
【歴史】 文治五年(1189年)奥州合戦の戦功で伊達郡を与えられた常陸入道念西が居館を構えたと言われている。
応永年間(1400年頃)伊達家九代伊達政宗が鎌倉公方に背いて立て籠もったのが、西山城と言われている。天文元年(1532年)伊達稙宗(たねむね)は居城を梁川城から桑折西山城へ移した。
しかし天文十一年(1542年)稙宗の三男伊達実元の越後上杉氏への入嗣問題で、嫡男晴宗が稙宗を西山城に幽閉するという事件がおき、伊達氏は内乱状態となった(天文の乱)。次第に晴宗が優勢になり、天文十七年(1548年)将軍足利義輝の命によって、両軍は和睦し、晴宗が伊達家十五代の家督を継ぎ稙宗は丸森城に隠居した。
又、晴宗も居城を米沢城へ移した。文禄二年(1593年)船岡城より柴田氏が移された。江戸時代になり桑折西山城は廃城となった。