葛西城 (かさいじょう)
所在地 東京都葛飾区青戸7‐28 2014.1.26
葛西城 (かさいじょう)
所在地 東京都葛飾区青戸7‐28 2014.1.26
葛西城址公園
葛西城址公園
御殿山公園
【遺構★☆☆☆☆】
【案内・感想】 環状7号線道路工事で分断され、西は「御殿山公園」、東は「葛西城址公園」(表記番地)(地図)[マップコード3 028 182*16]となっている。遺構はない。
昭和四十七年(1972年)に道路建設に伴う発掘調査が行われ、戦国期の陶磁器、漆器、人骨など様々な遺物が発掘された。道路建設のため城跡は道路下に埋め戻された。
【歴史】 桓武平氏の流れをくむ葛西氏が鎌倉時代に、城館として築いたとされる。中川の蛇行部を天然の堀として背後に持つ平城である。
戦国時代、下総国への進出の拠点として扇谷山内氏や後北条氏の支配下に置かれた。特に国府台合戦時には後北条氏側の最前線として重用され、中川・太日川を挟んで国府台城に陣取る小弓公方足利義明や里見氏らと激戦を繰り広げた。
二度の国府台の戦いで先鋒を務め、二度目の戦いで戦死した遠山綱景は葛西城城主であった。また、後北条氏によって擁立された古河公方足利義氏の元服式が行われたのも葛西城であった。
天正十八年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐の際に、戸田忠次らによって攻められ落城。
廃城となるが、徳川家康が江戸に入府後は城跡に「青戸御殿(葛西御殿とも)」と呼ばれた陣屋が建てられ、三代家光の頃まで鷹狩の宿舎として利用されたが、明暦三年(1657年)頃、明暦の大火で焼失した江戸城再建の資材のために破却されたという。