櫻井城 (さくらいじょう) (上代城・前掛城・前野城)
最寄地 千葉県旭市櫻井416 2015.4.6 2016.1.3
櫻井城 (さくらいじょう) (上代城・前掛城・前野城)
最寄地 千葉県旭市櫻井416 2015.4.6 2016.1.3
登城ルート
東側入口・遠景
登って間もなくの段郭
南郭北の堀切
南側頂上の曲輪
主郭南の堀切
主郭・土塁
主郭南東の石塔
櫻井城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高40m】
【感想】 旭市櫻井の標高47mの独立丘陵に築かれており、南北の山頂を結ぶ尾根に堀切があり、北の主郭に土塁がよく残っている。
二度目の挑戦であった。1回目はまるっきり登り口が判らず、丘陵南から直登し、南側頂上の曲輪にたどり着いた。
しかし、堀切などの遺構が見られず、もう一回登ってみた。段郭、堀切や土塁を見つけられた。標識など無く、放置された状態で地元の人もあまり分からない城跡であった。
【案内】 県道74号線と県道266号線の交差点を西へ、県道266号線の西に沿った道を北に約150m行くと、西に行く畦道前に着く[マップコード92 408 643*60]。
畦道を西へ直進すると、登り口になる(地図)。少し登ると、開けた段郭のような場所に出る。
そこから西へ、藪の多い段々になった郭があり、上り詰めると尾根に出る。尾根を少し右へゆくと堀切とそれに続く竪堀があり、西側にも一段下がって段郭がある。
尾根を南へ行くと山頂に東西に延びる郭がある。
堀切へ戻って尾根を北へ行くと、細長い郭があり、二段になった主郭がある。主郭の北側には高さ約1.5~2mの土塁が残っている。
土塁の終わるところは堀切となり、南東に下ると5つの石塔、供養塔が並んでいる。
北麓の道路際に「櫻井高札場」(地図)の標柱が建てられている。
【歴史】 鎌倉時代初期、源頼朝より東ノ荘、三崎郷を与えられた千葉常胤六男・東六郎胤頼により築城されたと云われている。
その後、千葉氏一族上代氏が居城としたが、永禄八年(1565年)掃部助胤正(かもんのすけたねまさ)の代に里見義弘の侵攻を受け落城した。
文禄元年(1592年)には徳川家康の臣・松平家忠が再建、居城したがその後、家忠が小見川城へ移った為、3年で廃城となった。