須賀山城 (すかやまじょう)
所在地 千葉県香取郡東庄町笹川い 2016.12.7
須賀山城 (すかやまじょう)
所在地 千葉県香取郡東庄町笹川い 2016.12.7
森山城にある案内図
北総育成園横の入口標識
大六天曲輪
主郭土橋と空堀・土塁
主郭の土塁
説明板
城跡標柱・天之宮
須賀山城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 森山城を含めると歩行距離1.5kmに及ぶ広大な城である。東端と西端に夫々主郭があり、どちらも遺構がよく残っている。中間は千両の畑などになっていて、遺構は少ない。
【案内】 県道266号線に面した「北総育成園林産班作業所(加工)紙工芸班作業所」に駐車できる[マップコード92 588 077*80]。
作業所の南に案内標識があり、西に登ってゆくと間もなく左に大六天曲輪があり、櫓台に大六天の祠が祀られている。
その北に行くと、馬出し曲輪があり、空堀と土橋の残る須賀山城主郭がある。空堀側に土塁が残り虎口付近に説明板が建てられている。
その北西に西曲輪がある。藪が多いので迂回して森山城跡の方から行くとよい。
その北に「天之宮(てんのみや)」の祀られている広い曲輪がある。更に無線鉄塔の西にも広大な曲輪があり、千両の栽培されている畑などになっている。
西のガードレールの設置された空堀までが須賀山城跡となっている。
【歴史】 千葉常胤とその一族と共に、源頼朝の挙兵に尽力した東胤頼(とうのたねより)は、その功により文治元年(1185年)東庄(とうのしょう)33郷、さらには三崎庄55郷を拝領した。
東胤頼は当初、上代(かじろ)前掛城(干潟町桜井)に居城したが、文治六年(1190年)に須賀山城を築き、妙見尊星王を勧請した。
その後、西隣接地に森山城を築き、建保六年(1218年)森山城に移った。その後も須賀山城には一族が居城し、東頼数、教頼(のりより)、常綱等の在城が伝えられている。