千田城 (ちだじょう)
所在地 千葉県香取郡多古町千田 2015.4.5 2016.12.19
千田城 (ちだじょう)
所在地 千葉県香取郡多古町千田 2015.4.5 2016.12.19
道の駅あじさい館の説明板
千田城跡
北西側先端部
【遺構★☆☆☆☆】
【案内・感想】 山武郡芝山町境169(道路の北は多古町千田)の北西約100mの畑が城跡とされる[マップコード137 473 203*15](地図)。
柵がしてあり、立入り禁止となっている。城域は広かったとされ、北東から西側の先端部をに回ると、一段下がった曲輪のようなピーナツ畑が見られた。その先の森の中は急崖となっていた。
発掘調査で確認されたとされるが、碑などもなく、ここがと思わせる。
国道296号線に面した「道の駅あじさい館」(多古町多古1069−1)に千田城跡の説明文があったので掲載した。
【発掘調査】 千田台遺跡とも呼ばれ、県の発掘調査では中近世遺構として、溝や土杭、掘立柱建物跡跡などが確認された。
【歴史】 古くからこの地に栄え、平安時代末期に絶大な権勢をほこった千田氏が千田荘を支配するため、築いた城であるとされる。
千田親政(ちだちかまさ)に代わって千葉氏が支配するようになったが、室町中期、千葉胤直・胤宣父子と叔父馬加・原氏の骨肉の争いで千葉宗家は断絶し、その後千葉氏一族は北条氏と戦い、敗退した。千田城もその頃廃城となったと思われる。