二日市城 (ふつかいちじょう) (二日市館)
最寄地 岩手県陸前高田市気仙町二日市55 2017.7.9
二日市城 (ふつかいちじょう) (二日市館)
最寄地 岩手県陸前高田市気仙町二日市55 2017.7.9
登城ルート
入口・標柱
二日市館標柱
足軽屋敷跡
城跡入口
空堀(右)
主郭・神社・土塁
主郭・土塁
北側下段の郭
二日市城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 城跡の北は東北大震災で想像を絶する津波を受けた陸前高田市街であり、高台造成工事が盛んに行われていた。2010年に訪れた時は道の駅も賑わっていたが、翌年震災に遭い今は、人影はなく震災遺構として保存されていた。
話は戻って、城跡への登り口が判らなかったが、近くにお住まいの方に聞くと、歴史など教えてもらい、空堀まで案内して頂いた(感謝)。
足軽屋敷跡は民家が立ち並び遺構は見られなかった。城跡は大きな空堀が残り、広い主郭の北側に土塁が残っていた。震災の影響なのか、放置されシダや草で覆われていた。
【案内】 国道45号線「丑沢」バス停より魚港への道に入り、ゴミ置き場横に駐車できる[マップコード81 609 871*34]。
魚港への道左側に「二日市館(旧足軽屋敷)跡」の標柱が建てられている。
そこより登ってゆくと、民家の立ち並ぶ足軽屋敷跡に出る。宅地外れから畑になる左側にネットの掛かった入口がある。
100mほど歩いてゆくと、空堀がよく残っている。空堀より右に登って少し行くと左に主郭入口がある。
標高55mの広い主郭には土塁が残り、その前に神社が祀られている。北側に5mほど下がって平坦地がある。
【歴史】 築城時期は定かでないが、葛西氏の支城であった。天正年間(1573~92年)頃の城主は葛西氏の家臣今野助九郎であった。
天正十八年(1590年)豊臣秀吉の奥州仕置で葛西氏は改易され、今野助九郎も退去した。
その後、秀吉の重臣石田三成が一時詰め、足軽を駐屯させていたという。
翌年に起きた「葛西大崎一揆」の後、伊達氏の家臣が入れ替わりに城代を務め、江戸時代初頭まで続いた。
寛永八年(1631年)城代が廃止され、廃城となった。