浄法寺城 (じょうぼうじじょう) (小幡館)
所在地 岩手県二戸市浄法寺町八幡舘 2014.8.14
浄法寺城 (じょうぼうじじょう) (小幡館)
所在地 岩手県二戸市浄法寺町八幡舘 2014.8.14
登城ルート
神明社・八幡宮・土俵
八幡館跡
北館入口(電柱右)・空堀・新城館入口(右手前)
堀道と説明板・西館入口(左手前)
説明板
西館跡
浄法寺城 八幡館跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 安比川に沿った県道6号線より北に行った神明社の石段前に駐車スペースがある[マップコード447 648 449*45] 。
石段を登ると、神明社、八幡社、稲荷社など四社が祀られている。西に登ると主郭の「八幡館」が畑となって広がっている。
「八幡館」の北に堀跡の道路で隔てて「大館」、「西館」があり、もう一本北の道路となっている堀で隔てて、「北館」、民家のある「新城館」と並ぶ五つの郭から構成されている。
西館と新城館の間の堀跡道路脇に説明看板があり西舘の登り口[マップコード447 648 581*04](地図)がある。
五つの郭を合わせて、東西300m、南北500mの規模を持つ。
【発掘調査】 平成九年度から行われた浄法寺教育委員会による発掘調査で、建物跡、堀跡、生活用品、武具などが検出されている。
【歴史】 築城時期は不明。浄法寺氏累代の居城で、浄法寺氏は源義経追討を命じられた畠山重忠の子孫とされ、14代重恒の代に南部藩に属した。
25代重房の時、南部家臣となり5千石を領した。
天正十九年(1591年)九戸政実の乱に際し、南部信直方に浄法寺の名が載っている。
天正二十年(1592年)「諸城破却書上」には「浄法寺 山城 畠山 修理 持分」とあり破却は免れた。
その後、慶長六年(1601年)、岩崎一揆において岩崎陣に参加した際、浄法寺重好に不首尾があったとして、領地は没収され浄法寺氏宗家は廃絶された。