石戸城 (いしどじょう)
所在地 埼玉県北本市石戸宿6丁目17 2015.1.29
石戸城 (いしどじょう)
所在地 埼玉県北本市石戸宿6丁目17 2015.1.29
説明板
4郭3郭・説明板
東側の空堀(通路)
1郭
1郭の櫓台
石戸城 一の郭跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 荒川の東岸「天神下公園」の東丘陵にあり、一の郭が民家の敷地となり櫓台地がある。
その東に通路の空堀跡、二の郭がある。南に三の郭、四の郭、五の郭と配置されている。大部分は民家となり無断立入が禁止されている。
規模は東西約150m、南北約200mで遺構は一部確認できるが消滅している。
四と五の郭の間の舗装道路西に説明板が立てられている[マップコード14 316 483*02](地図) 。
昭和四十四年(1969年)10月1日、県の重要遺跡に指定されている。
【歴史】 十五世紀後半、上杉氏に与していた岩付城主太田氏により築城され、岩付城と松山城、川越城を結ぶ防衛ラインの要塞の一つとして機能していたと思われる。
永禄六年(1563年)二月、北条氏・武田氏連合軍が松山城を取り囲み攻めた際、雪の上越国境を越えて援軍に駆け付けた上杉謙信が、松山城を望むことが出来る石戸城に一時逗留した。
その後北条氏の支配となり、徳川家康の関東移封以降の十七世紀初頭には役割を終えていたようである。『北本市教育委員会説明板』より。