柴小屋城 (しばこやじょう) (柴小屋館・小斎城) (こさいじょう)
最寄地 宮城県伊具郡丸森町小斎北町場23 2020.1.26
柴小屋城 (しばこやじょう) (柴小屋館・小斎城) (こさいじょう)
最寄地 宮城県伊具郡丸森町小斎北町場23 2020.1.26
登城ルート(緑線は車道)
佐藤家住居跡・駐車場
3の丸馬屋間の堀切
本丸・八重垣神社
本丸西側・城址碑
本丸2の丸間の堀切
2の丸
2の丸西の堀切
柴小屋城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【感想】 丸森町小斎の東西に細長く伸びた標高75.5mの丘陵に築かれている。八重垣神社のある本丸を中心に東西に2つの郭や3条の深い堀切がよく残っている。
南麓に遺構はないが佐藤家の居館跡がある。
【案内】 県道28号線より小斎(こさい)小学校北を通り、麓集会所の東に入口があり[マップコード332 279 861*74]、橋を渡って未舗装道を北に行くと佐藤家住居跡に駐車場が用意されている(地図)。
そこから右斜めに登ってゆくと、3の丸(藪)があり、西に堀切・馬屋がある。その西上段に八重垣神社(牛頭天王社)のある本丸があり、館趾碑が建てられている。
西側に虎口、陸橋跡の堀切があり、東西に細長い2の丸がある。北西に搦め手門跡があり西に堀切、小郭と並んでいる。また本丸・二の丸南側に帯郭がある。
【歴史】 築城時期ははっきりしないが、小斎平太兵衛の居城であったが、永禄九年(1566年)相馬氏に攻められ落城した。
天正四年(1576年)頃、相馬氏の命により空堀など整備された。佐藤家初代為信(宮内)の居城となった。
天正十年(1582年)頃、柴小屋館は伊達氏の所領となり、伊達氏に寝返った佐藤為信が城主となった。佐藤為信は、源頼朝に仕えた大鳥城主・佐藤継信・忠信兄弟の末裔である。
その後天正十九年(1591年)佐藤為信が戦死し、勝信が2代目城主となった。
元和元年(1615年)の一国一城令で廃城となったが、伊達氏に仕えた佐藤氏は、柴小屋館の南麓に居館を構え、明治維新まで代々続いた。