高柿城 (たかがきじょう)
所在地 茨城県常陸太田市高柿町1059-1 2020.6.20
高柿城 (たかがきじょう)
所在地 茨城県常陸太田市高柿町1059-1 2020.6.20
説明板
南東側土塁
南東空堀
工場
北側
高柿城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 山田川を挟んで久米城の西1km余の台地にある。
コンクリート製品工場敷地となっており遺構はほとんどないが、南東側に土塁と空堀が部分的に残っている。
【案内】 県道167号線より「㈱エスコン常陸太田工場」(表記番地)に向かう。入口に案内標識があり、工場を南北に通る市道を行った所に土塁があり、説明板が建てられている[47 791 081*25]。
その南側に駐車スペースがあり、土塁に沿って東に行くと杉林となった空堀がある。
【歴史】 治承四年(1180年)源頼朝が佐竹秀義追討のとき、佐竹義長が居城して頼朝軍と戦ったと云われる。佐竹氏の一族である山入与義の子である佐竹義郷を祖とし、当初は松平氏を名乗った。
戦国時代、山入の乱が起った際、高柿城主・高柿久高は山入軍に対抗し、久高は討死するが、高柿氏は終始佐竹氏に属して戦い続けた。
天正十九年(1591年)高柿信久の時、松平姓に復帰した。慶長七年(1602年)佐竹氏が羽州へ国替えとなり、廃城となった。
江戸時代になると、徳川家康の旧姓に憚り、旧姓の高柿姓に復した。