高井城 (たかいじょう) (下高井城)
最寄地 茨城県取手市下高井1405 2016.2.11
高井城 (たかいじょう) (下高井城)
最寄地 茨城県取手市下高井1405 2016.2.11
配置図
入口・切岸
西側切岸
虎口土塁
主郭跡
3郭
東側空堀
高井城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 県道251号線より北に行った表記番地西に「高井城址公園」の標識がある(地図)。小貝川を北に臨む半島状台地に築かれている。
細い道を北に行くと、入口がありその先に駐車スペースがある。虎口前に空堀、土橋が残り、説明板が建てられている。
説明版の裏を東に行くと、放置された大きな空堀があり、東に妙見八幡宮が祀られている。それより東側が外郭であったが、大部分が宅地となっている。
主郭虎口より入ると、東西約50m南北約65mの主郭には桜が植えられ、周囲には高さ2~3mの土塁がよく残っている。
主郭の北に一段低く2郭があり、一部宅地となっている。
又、虎口の南に3郭があり空き地(伐採された竹林)となっている。
【歴史】 高井城がいつ頃築かれたか明らかではないが、高井の地名は、建武三年(1336年)十一月二十二日付相馬親胤宛「斯波家長奉書」に大鹿村(現在の白山地区)と共に見え、この時点で相馬氏の知行地であった。
天正十八年(1590年)に豊臣秀吉の小田原征伐の際、後北条氏と共に下総系相馬氏が滅亡した為、高井城は廃城となりその役割を終えた。『取手市説明板』より。