羽黒山城 (はぐろさんじょう)
最寄地 茨城県桜川市西小塙543−2 2018.4.19
羽黒山城 (はぐろさんじょう)
最寄地 茨城県桜川市西小塙543−2 2018.4.19
登城ルート(緑線は車道)
登り口
4郭西の空堀
二郭
主郭・二所神社・土塁
5郭東堀切1
6郭北の土塁
6郭北の大堀切
羽黒山城 主郭跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高160m】
【感想】 桜川市と笠間市の境にある標高245mの羽黒山に築かれている。6つの主要郭から構成された規模の大きな城跡で、空堀、堀切や2重堀切、大堀切などが良好に残っている。
また二所神社のある主郭には、石積の崩れた方形の土塁が残っている。
【案内】 国道50号線に面した札幌ラーメン屋(表記番地)東の信号のある交差点を右折し、すぐ右へ曲り東へ進む。未舗装の農道となるが、そのまま進み左に行くと登山口があり、駐車スペースがある[マップコード188 064 708*34](地図)。
二所神社鳥居の横に「棟峰城跡」「羽黒城跡」「諏訪古墳」の標柱が建てられている。参道は5合目付近から急坂になり、左側のロープを伝って登る。
西から4、3、2、主、5、6郭と主要郭が並んでおり、4郭の西に空堀があり、3郭との間に空堀が残っている。3郭は土塁がめぐり、2郭の上段に主郭がある。主郭は石積みのある方形の土塁がめぐり、二所神社が祀られている。
主郭の北東に堀切、藪化した5郭、2重堀切、笹を分けて行った広い6郭があり土塁の先に大堀切が残っている。そこを下って300mほど北に登ると棟峰城に至る。
【歴史】 南北朝時代、常陸国司春日顕国が城主で南朝方の城であったといわれる。
北朝方の高師冬が反撃を始め、次第に南朝の諸城が落とされ、興国四年(1343年)関城・大宝城両城の陥落によって、常陸南朝方は壊滅した。
戦国時代には笠間幹綱の甥が羽黒に住して根小屋殿と呼ばれ、この城主であったといわれる。