武熊城 (たけくまじょう)
所在地 茨城県水戸市柳町2-5-8 2015.2.28
武熊城 (たけくまじょう)
所在地 茨城県水戸市柳町2-5-8 2015.2.28
武熊城跡の石碑
由来文
【遺構構★☆☆☆☆】
【案内・感想】 国道51号線「柳町一丁目東」交差点より北に50m行き、右折して150mほど行った「水戸市武隈市民センター」(表記番地)南東隅に「武熊城跡」(側面に由来文)の石碑が建てられている[マップコード47 104 577*72](地図)。
城域は東西約550m南北約440mの規模とされる。
【歴史】 かって、この地には、東西約550m、南北440mにわたり武熊城が存在した。
吉田の豪族石川望幹が築城したと伝えられ、その後江戸氏の支配を経て、天正十八年(1590年)佐竹氏が水戸城を攻略し、城主となるに及んで、一族の東義久の居城となった。
慶長七年(1602年)佐竹氏の秋田移封後、廃城となった。慶安四年(1651年)柳堤築造の時、採土されて城跡は無くなった。『側面由来文』より。