平治館 (へいじやかた) (町の史跡)
最寄地 茨城県東茨城郡城里町大字北方641 2020.6.20
平治館 (へいじやかた) (町の史跡)
最寄地 茨城県東茨城郡城里町大字北方641 2020.6.20
登城ルート
説明板と標柱・入口
説明板
館跡(東から)
土塁
堀跡の北側道路
平治館跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 那珂川右岸に築かれた崖端城となっており、西側台地との間に土塁が残っている。
東西約100m南北約70mの規模で東側は杉林となっているが、館跡西側は空き地となっている。
【案内】 城里町大字北方の表記番地南東の道路横に標柱・説明板が建てられている[マップコード188 629 003*43](地図)。
背後に土塁があり、館跡がある。
昭和四十八年(1973年)1月20日、城里町の史跡に指定されている。
【歴史】 元弘二年(1332年)常陸大掾高幹の世、佐貫氏が築き、その後、穂高平治が居住した。
天正年間、頓(徳) ヶ原合戦の時は、大山氏の出丸として用いられた。