富谷城 (とみやじょう)
所在地 茨城県桜川市富谷 2016.2.27
富谷城 (とみやじょう)
所在地 茨城県桜川市富谷 2016.2.27
登城ルート
2郭北空堀の道路
2郭南の空堀・主郭土塁
主郭・空堀・3郭
主郭・土塁
主郭土塁・祠
富谷城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 県道41号線より五月女鉱業に向かう道の、採石場入口手前の右手に城跡入口があり、駐車スペースがある[マップコード487 162 053*37](地図)。空堀は東へ伸び道路となっている。
南にやや傾斜した2郭があり、その南に東西約55m南北約60mの主郭がある。コの字形の空堀が残り、主郭の北側に高さ3~4mの土塁がよく残っている。南から東にかけては崖となっている。
主郭の西から南にかけてL字形の3郭がある。3郭の西に携帯用電波塔が建てられている。説明板や碑は無い。
【歴史】 戦国時代に西明寺城を本拠とする益子氏が築き、城将として加藤氏を置いた。
天正十一年(1583年)、百姓同士の境界争いから、益子氏と笠間氏の争い(冨谷合戦)が起きた。
冨谷城の加藤大隈守の軍と、橋本城の谷中玄蕃の軍が戦い、合戦は始め益子氏方が有利であったが、笠間氏方が盛り返し、冨谷城も落城したと云われている。