藤岡城 (ふじおかじょう) (芦田城)
所在地 群馬県藤岡市藤岡1848-2 2015.9.23
藤岡城 (ふじおかじょう) (芦田城)
所在地 群馬県藤岡市藤岡1848-2 2015.9.23
藤岡第一小学校
北側より見た土塁
土塁東
芦田城址碑
藤岡城 土塁(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 藤岡第一小学校(表記番地)の北側に土塁があり、「城址緑地」公園となり、校内に入らずに自由に出入り出来る。土塁上は遊歩道になり、校庭の西、南の外側を歩いて行ける。北西の土塁上には、「井元たい女史之像」が建てられ、土塁石垣に「芦田城址」の石板が嵌め込まれている。
【歴史】 依田(芦田)康勝は武田氏の旧臣で徳川家康に仕え、佐久地方で活躍した依田信蕃(のぶしげ)の次男で、兄依田(松平)康国が天正十八年(1590年)五月の石倉城攻めで討死すると、家督を継いだ。
天正十八年(1590年)八月徳川家康の関東入部に従い藤岡に3万石の所領を与えられ、小諸より移り、翌天正十九年(1591年)四月築城半ばの藤岡城に入った。
慶長五年(1600年)囲碁の最中、愚弄した小栗三郎を刺殺し、改易となり廃城となった。
康勝は後に加藤康寛と名乗り、越前の結城秀康に仕え、子孫は福井藩士となった。