尻高城 (しったかじょう)
最寄地 群馬県吾妻郡高山村尻高2433 2015.9.21
尻高城 (しったかじょう)
最寄地 群馬県吾妻郡高山村尻高2433 2015.9.21
登城ルート
城跡碑・説明板・案内図
登り口
南側堀切
虎口
本郭跡
手前本郭・堀切
二の郭跡・標識
尻高城本郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高170m】
【案内・感想】 国道145号線(日本ロマンチック街道)の「戸室」交差点より北に約800m行き、左折約400mゆくと、表記番地の民家西に説明版と「尻高城跡」石碑が建てられている[マップコード183 424 513*48]。
駐車スペースは少なく、民家の前の道路に路駐した。石碑横の道を少し北にゆくと、大きな廃屋があり右手裏に登り口があり、標識が立てられている(地図)。
なだらかな道を100mほど行き右に登り道となり、前の山を巻き尾根に出る。堀切があり、やがて急な岩の多い登りとなり、岩の上に石宮がある。
そこより城跡となり、小さな郭跡がいくつかあり、一段高い標高約705m比高約170mの山頂に約40m四方の本郭がある。
標識等はなく、石宮が2つほどある。東に深い堀切があり、一段低く東西100m南北5、6mの細長い尾根の二の郭がある。二の郭には手水石や、石宮が3つあり「尻高城跡」の標識が外れて、松の根元に立てかけてあった。その先は崖となっている。
平成元年(1989年)11月30日、高山村の史跡に指定された。
【歴史】 応永八年(1401年)三月、白井城主長尾重国の家臣により築城が開始された。
同十年完成し、重国の3男重儀が城主となり尻高氏を名乗り、左馬頭と号した。天正八年(1580年)廃城となっている。『高山村教育委員会説明板』。