赤館 (あかだて)
最寄地 福島県東白川郡棚倉町棚倉風呂ヶ沢45-6 2016.10.6
赤館 (あかだて)
最寄地 福島県東白川郡棚倉町棚倉風呂ヶ沢45-6 2016.10.6
虎口
主郭
土塁
赤館碑
腰郭
空堀
赤館跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 いつも一緒に訪れていたが、妻と死別して最初に訪れた城跡となった。車で来て、公園に来ている同年配の夫婦を見ると、なぜか羨ましい。
戦国時代、赤館は戦乱の舞台となったが、今では公園となり市民の憩いの場となっている。虎口、土塁、腰郭、空堀が残っている。
【案内】 県道25号線より西に行った「赤館旅館」前の一方通行の道を時計回りに行く[マップコード225 435 525*80]。右折すると駐車場が用意されている。
主郭は「赤館公園」となっている。南側に説明板が建てられ、虎口がある。北側に土塁があり「紀元二千六百年記念建設」の石碑が建てられている。少し東に「赤館」(由来文あり)の石碑が建てられている。
北東隅より下ると、東側に腰郭が残っている。北の道路ガードレールの下に空堀が残っている。
【歴史】 鎌倉時代に伊達氏の飛び地であったが、南北朝時代以後、白川結城氏の所領となった。
永正十年(1513年)戦国大名の佐竹氏は白川結城氏の依上保(大子町)を支配した。やがて佐竹氏は勢力を拡大し赤館以南の九南郷館を支配した。
元亀二年(1571年)白川義親は南郷を激戦の末、奪回した。
天正三年(1575年)佐竹氏は前年に続いて赤館を攻めたが、葦名・結城連合軍に撃退された。
天正十八年(1590年)伊達政宗は白河など7郡を領し、赤館で佐竹氏と対峙した。しかし、同年の豊臣秀吉の「奥州仕置」で白川結城氏は滅亡し、棚倉は佐竹領地として公認された。
江戸時代になると、佐竹氏は秋田に国替えとなり、棚倉は天領となった。
慶長十四年(1609年)柳川城主であった立花宗茂が5万石赤館城主となった。元和六年(1620年)宗茂は再び柳川藩(柳川城)へ移った。
元和八年(1622年)丹羽長重が5万石赤館城主となった。かって越前等123万石を支配した長重は、2年後から東に棚倉城を築城し始めたが、長重は白河10万石に転封された。赤館はこのころ廃城となった。
寛永四年(1627年)内藤信照が5万石棚倉城主となり、築城し城下町を整備した。