石母田城 (いしもだじょう) (町の史跡)
所在地 福島県伊達郡国見町石母田舘ノ内 2014.4.15
石母田城 (いしもだじょう) (町の史跡)
所在地 福島県伊達郡国見町石母田舘ノ内 2014.4.15
説明板
東側堀
本郭北東の堀
西側堀
南側堀
本郭跡・土塁
石母田城 本郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 阿津賀志山防塁の西南西、直線距離約830mに位置している。城の構造は、現在桃畑となっている本郭を土塁と堀で囲み、その南に二ノ郭、本郭の南から東に家中屋敷の置かれた三の郭があり、その外側をさらに堀で囲むという複郭式の平城である。
現在も土塁や堀が残っており、また本郭は桃の畑地、二ノ郭や家中屋敷は当時の屋敷割りのままで住宅が配置されており、保存状況が良好な城跡である。
三の郭の北東の的場跡に説明板が建てられている[マップコード76 502 428*67](地図)。現在、二の郭以南は桃などの畑となっている。
昭和六十三年(1988年)3月15日、国見町指定史跡に指定されている。なお、歴史学者・石母田正は石母田氏の子孫である。
【歴史】 築城時期は明らかではないが、中世伊達家の重臣石母田氏の居城であった。
その後、奥州守護・伊達稙宗(たねむね)が、その子晴宗と争った天文の乱(1542~48年)に際し、この城は稙宗方の本拠となり、晴宗方と激しい攻防戦が展開された。
天正十八年(1590年)豊富秀吉の奥州仕置により廃城となり城主・石母田景頼は宮城県丸森町の荒山城に移った。