横田城 (よこたじょう)
所在地 栃木県宇都宮市兵庫塚3-32 2015.2.1
横田城 (よこたじょう)
所在地 栃木県宇都宮市兵庫塚3-32 2015.2.1
由来・系図
城跡碑
【遺構★☆☆☆☆】
【案内】 表記番地内の西端の公園の西入口に「横田城跡」の石碑が建てられ、裏面に由来文と横田氏系図が書かれている[マップコード74 883 072*35](地図)。
【歴史】 嘉禎三年(1237年)に横田越中守頼業が築いた平城で、建長元年(1249年)に上三川に新城(上三川城)を構え、移住するまで横田氏の本城であった。
『下野国誌』 によれば、城域は東西約150間(約270m)、南北約120間(約216m)で、三町五反(1万500坪)の面積を誇り、五稜形の城郭であったという。
城跡付近には居館と思われる「長寸館」、横田氏が武具を埋蔵したという「兵庫塚」なる地名が残り、系図によれば横田氏は、藤原北家流の名門宇都宮氏の一族で、5代掃部助頼綱の次男越中守頼業を祖とし、母は源頼朝の重臣梶原平三景時の娘であった。
頼業は横田に築城するにあたって、父頼綱から横田郷千余町歩(約1万4千5百石)を分封され、さらに鎌倉御家人に列し、父と同じ伊予守護職に任じられた。
この間横田氏は、戦国期上三川城主となる今泉氏をはじめ、松野氏、石井氏、落合氏、刑部氏、桑島氏、上三川氏、中三川氏等の多くの分流を輩出し、後に徳川譜代大名となる秋元氏も、横田氏四代の長門守泰業の流れをくんでいると『寛政重修諸家譜』に記されている。『石碑文』より。