中村城 (なかむらじょう) (県の史跡)
所在地 栃木県真岡市中2402 2014.4.9
中村城 (なかむらじょう) (県の史跡)
所在地 栃木県真岡市中2402 2014.4.9
遍照寺入口・碑・堀
南西側堀
遍照寺・栢の木
境内北西隅・中村八幡宮
北西側土塁
中村城跡 石碑(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 現在は真言宗の如意山寶珠院遍照寺(表記番地)の境内であり南側山門付近に城跡碑、看板があり、堀がほぼ全周残っている[マップコード74 565 547*56]。部分的に土塁も残っている。
東西415m、南北455mのほぼ方形の城域の中に、周囲に幅8m、深さ5、6mの空堀がめぐらされた東西191m南北182mの遍照寺境内が中世領主の城館跡である。
境内北西隅には中村八幡宮(祭神・中村小太郎藤原朝宗)が建っている。
本堂前の栢(かや)の木は、昭和二九年(1954年)に県指定天然記念物となったイチイ科カヤ(雌木)で、樹齢約八百年、樹高24m、根本周7m、胸高周6mである。
文治五年(1189年)、奥州伊達家の祖・中村宗村が、源頼朝から奥州合戦の恩賞として与えられた伊達郡・信夫郡に赴く際に植樹したとする伝承がある。
昭和三十五年(1960年)6月24日、県の史跡に指定された。
【歴史】 奥州伊達氏の祖である藤原朝宗は保元元年(1156年)藤原氏本家の荘園でもあった中村荘に住み、中村八幡宮の南東に館を築いて中村荘を管理し、中村氏を名乗った。
朝宗の子常陸介宗村は源頼朝の奥州征伐に従軍し、戦功をたて伊達・信夫2郡の地頭職となり、その子朝定が中村を継いだ。以来、中村氏の居城となった。
応安元年(1368年)には宇都宮氏綱が鎌倉に反対して敗れたのち、中村庄は結城領になった。
永享十二年(1440年)の結城合戦の結果、再び宇都宮領になったと思われる。
天文十三年(1544年)十月七日、中村日向入道玄角は水谷蟠龍斎正村と戦い敗れた『中村沿革誌』。その後中村城は廃城となり、中村領は水谷氏の領地となった。