鶴丸城 (つるまるじょう) (鶴舞城・岩ヶ崎城)
最寄地 宮城県栗原市栗駒岩ケ崎下小路1 2019.10.1 10.16
鶴丸城 (つるまるじょう) (鶴舞城・岩ヶ崎城)
最寄地 宮城県栗原市栗駒岩ケ崎下小路1 2019.10.1 10.16
登城ルート(緑線は車道)
駐車場・本丸切岸
本丸
城趾碑
南の郭群へ
本丸2の丸間の堀切
二の丸(奥が本丸)
三の丸東の畝状竪堀
鶴丸城跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高10m(駐車場より)】
【感想】 三泊川左岸に位置する栗原市栗駒岩ケ崎の標高101mの丘陵に築かれている。
規模は東西約650m南北約400mの連郭式の城で、北西に黒岩館(出城)がある。
館山公園としてほぼ城郭を損なうことなく、元のまま整備されているようで、切岸や堀切もよく残り、遊歩道も設けられ歩きやすかった。本丸2の丸間の堀切は深く見応えがある。
また、3の丸東下段には5、6条の畝状竪堀がよく残っている。
【案内】 県道4号線より北に行った市立「栗駒小学校」(表記番地)入口に説明板が建てられている[マップコード319 284 524*86]。
西に行った上行寺石碑から北へ行き右折し北へ向かうと「館山公園」の標識がある[マップコード319 314 042*45]。本丸下の駐車場まで舗装道が続いている。
本丸には「鶴丸城趾」の石碑が建てられている。
本丸の南西に3つの郭があり、北側に郭(杉林)、東に堀切で隔てて2の丸、3の丸がある。
更に東に東館があり、蛭子公園となっている。
【歴史】 南北朝時代、葛西氏を祖とする富沢河内守馬之助(のち道祐)は、正平六年(1351年)岩切城合戦で吉良方に味方し戦功があり、富沢郷を賜り、築城した。
以後、明岩・直家・直綱・直景と5代続いて戦国時代勢力を誇ったが、天正十八年(1590年)豊臣秀吉の小田原攻めに不参を理由に葛西氏と共に改易された。
その後、伊達政宗の5男宗綱、6男宗信が城主となった。
その後、石母田氏・田村氏・古内氏・茂庭氏を経て、元禄七年(1694年)中村氏が藤沢から転封され、以来175年間在城し、明治維新を迎えた。