高舘城 (たかだてじょう) (羽黒城・名取要害)
所在地 宮城県名取市高舘吉田 2017.4.22
高舘城 (たかだてじょう) (羽黒城・名取要害)
所在地 宮城県名取市高舘吉田 2017.4.22
説明案内板
登城ルート(緑は秀衡が崎)
入口標識
秀衡が崎北の堀切
秀衡が崎・土塁
本丸南の空堀
本丸・土塁
西の丸の西側空堀
高舘城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 仙台平野に突き出た高館山東の標高177・5mの丘陵にある。
入口からの比高差はほとんど無く、登りやすいが杉林や草木が茂っており、撮影に苦労した。後で縄張り図を見ると、あと50m先に登り口の標柱があるらしい。
少し先の熊野那智神社からは、仙台平野が一望でき、遠く太平洋まで見通せる。おそらく城跡からも樹木が無ければ同じように見えると思われる。
【案内】 那智ヶ丘住宅団地の南西にある「那智が丘公民館」(名取市那智が丘3丁目1−5)前より東に60m行き、右折熊野那智神社に向かう道を約250m行くと三叉路があり、「高館城址」標識が建てられている。通行少なく路肩に駐車する[マップコード21 371 271*34]。
左に入口(地図)があり説明案内板が建てられている。遊歩道を一旦下って進み、左に登ると堀切がある。右手(南)に「秀衡が崎」と呼ばれる曲輪がある。
50mほど進み石碑のあるところを登ると、空堀に出、右に登ると本丸である。西側に土塁が残っている。
空堀の南が南の丸となっている。また本丸の西、西の丸の西側に空堀が残っている。
平成二年(1990年)3月31日、名取市の史跡に指定された。
【歴史】 安元元年(1175年)藤原秀衡が舘を築き、文治五年(1189年)源頼朝の奥州征伐の折り、藤原勢がこの城に立て籠もり鎌倉勢を迎え撃ったといわれる。
南北朝時代、観応の擾乱(1351年)で多賀城をめぐる攻防の中で出てくる羽黒城や名取要害は、高舘城のことだといわれている。
その後、永禄年間(1558~70年)伊達稙宗が一時居城し、後に家臣福田駿河守を城主として置いたとされる。